60日に一度眠らない?庚申信仰の内容や起源についてわかりやすく解説!

庚申信仰コラム
コラム

『庚申信仰(こうしんしんこう)』や『庚申講(こうしんこう)』という言葉を聞いたことがあるでしょうか?

庚申信仰は日本に深く根付いている信仰のひとつですが、その内容についてはあまり知られていないかもしれません。

この記事では、日本の民間信仰の中でも古くから存続し続けている『庚申信仰』についての内容や起源、関連する寺社などについて紹介します。

そもそも庚申信仰とは?意味やご利益は?

庚申信仰

『庚申信仰(こうしんしんこう)』は、中国の不老長寿を目指す道教の教えのひとつ「三尸説(さんしせつ)」が起源とされる民間信仰です。

古代中国では、人の体内には「三尸(さんし)」と呼ばれる虫がいて「庚申の日(かのえさるのひ)」の夜に人々が寝静まると、宿主の体内からこの虫が密かに抜けだし、その宿主が行った悪事を天帝に告げにいくと信じられていました。

知らせを受けた天帝は行いの悪い人に対し罰を与え、寿命を縮めてしまいます。

そのため「長生きしたければ、三尸(さんし)の虫が天帝の元へ行かないように庚申の日は一日中眠ってはならない」と伝えられてきました。

この教えが中国から日本に伝わると、徐々に形を変えて広く庶民にも伝わるようになっていきました。

日本の干支である「十干十二支(じっかんじゅうにし)」の暦のうえで、60日ごとにやってくる「庚申の日(かのえさるのひ)」に庚申様を祀る行事が行われ、庚申信仰へとつながっていきます。

庚申信仰のご利益としては、延命長寿・無病息災病・諸願成就などがあります。

また、農村では豊作や養蚕の神、漁村では大漁や海上安全を祈る神、町部では商売繫盛の神として、庶民の生活にも深く関わっています。

「庚申(こうしん・かのえさる)」の意味

「庚申(かのえさる)」は、干支のひとつを表しています。

十干十二支の組み合わせで出来る60種類の符号のひとつで、57番目のことです。

十干(じっかん)
「甲(きのえ)、乙(きのと)、丙(ひのえ)、丁(ひのと)、戊(つちのえ)、己(つちのと)、庚(かのえ)、辛(かのと)、壬(みずのえ)、癸(みずのと)」

十二支(じゅうにし)
「子(ね)、丑(うし)、寅(とら)、卯(う)、辰(たつ)、巳(み)、午(うま)、未(ひつじ)、申(さる)、酉(とり)、戌(いぬ)、亥(い)」

これを暦に当てはめると60日ごとに「庚申の日」が訪れることになり、60年に一度「庚申の年」が巡ってきます。

次回の庚申の年は2040年です。

三尸(さんし)の虫について

庚申信仰

出典:Wikipedia

「三尸の虫(さんしのむし)」は、中国の道教に由来する、生まれたときから人の体内にいると考えられていた虫のことです。

庚申の日に眠ってしまうと、この三尸の虫が人の体から抜け出すといわれてきました。

三尸には、上尸(じょうし)・中尸(ちゅうし)・下尸(げし)の3種類があります。

上尸(じょうし)

人の頭の中「脳」に存在し、首から上の病気を引き起こしたり、大食を好ませます。
道士の姿をしています。

中尸(ちゅうし)

人のお腹の中に存在し、臓器の病気を引き起こしたり、宝貨を好ませます。
獣の姿をしています。

下尸(げし)

人の足に存在し、腰から下の病気を引き起こしたり、淫欲を好ませます。
頭は牛、体は人の足の姿をしています。

庚申信仰の始まりと歴史

庚申信仰

庚申信仰が日本に伝えられたのは平安時代の初め頃とされており、最初は宮廷貴族の間でのみ行われていました。

宮中で庚申の日に徹夜することは「守庚申(しゅこうしん)」と呼ばれ、眠気を醒ますために管弦の演奏や歌会などを催したり、飲食を行ってにぎやかに夜明かしを行っていたそうです。

これは、道教の「静かに慎んでいなければならない」教えとはだいぶ異なっていました。

室町時代中頃になると庚申信仰は仏教に取り入られ、仏教式の庚申信仰が行われるようになりました。

「守庚申」は「庚申待ち」と呼ばれ、礼拝の作法や本尊が考え出され、一般の人々にも広まり始めます。

時代が進み江戸時代になると庚申信仰は全国各地に広まるようになり、仏教式に加え修験道に取り入れられた庚申信仰も普及するようになりました。

また、庚申の「申(さる)」にちなんで、猿田彦神を本尊とする神道式の庚申信仰も合わせ、3種類のさまざまな庚申信仰が成立していくこととなります。

明治時代になると「排仏棄釈(はいぶつきしゃく)【仏教の教えを廃する動きのこと】」の影響を受けて、神道式と仏教式が混ぜ合わされた「神仏混交(しんぶつしゅうごう)」の形で行われることも多くなっていきます。

仏教・修験道・神道などさまざまな影響を受けながら変化してきた庚申信仰ですが、近代に至ってもその内容は変化し続けていきます。

しかし、昭和30年代ごろから庚申信仰は急速に衰退しはじめ、現代では一部の地域を除き、ほかの信仰伝承と同様に次第に失われつつあるようです。

庚申講、庚申待、庚申塔(庚申塚)とは?

庚申信仰

60日ごとに巡ってくる「庚申の日」には、人々は仲間を集めて1ヶ所に集まり、三尸が体から抜け出すことができないようみんなで一晩を明かすのが一般的でした。

この仲間のことを「庚申講(こうしんこう)」と呼び、その行いを「庚申待(こうしんまち)」といいます。

庚申信仰の盛んになった江戸時代では、村の中に「庚申講」ができ、庚申の日には各家々を順番に「お宿」という集会所にしていました。

お宿では米や野菜を持ち寄って、徹夜で飲食歓談をしていたそうです。

部屋には「庚申様」や「青面金剛像(しょうめんこんごうぞう)」などの掛け軸を飾り、供え物をしていました。

庚申の日に住民たちはいろいろな相談を話し合ったり、農作業の知識や技術を交換したりと、信仰だけでなく地域のつながりを深める意味もあったようです。

この庚申信仰による功徳を願うために建てられたのが「庚申塔(こうしんとう)」 です。

一般的には一基単独ですが、同じ場所に数多くある場合「百庚申(ひゃくこうしん)」と呼ばれることもあります。

「塚【周囲の地面よりこんもりと丸く盛り上がった場所】」に建てられることが多かったので、「庚申塚(こうしんづか)」と呼ばれることもありました。

庚申信仰はなんの神様?サルタヒコとの関わり

猿田彦大神(サルタヒコオオカミ)

出典:Wikipedia

庚申信仰では、中国の道教思想に由来する「青面金剛(しょうめんこんごう)」が本尊とされています。

もともとは疫病などを撃退する仏さまでしたが、庚申信仰では人間の体内にいると考えられている三尸を押さえる神として崇められてきました。

また、神道式では「猿田彦大神(さるたひこおおかみ)」を本尊としています。

これは「猿」と「申(さる)」が重なることから、庚申信仰と結びついたと考えられています。

猿田彦大神(サルタヒコオオカミ)
「猿田彦大神(サルタヒコオオカミ、サルタヒコノオオカミ)」は、「みちひらきの神」とも呼ばれる神様です。天孫降臨神話の主役であるニニギノミコトを案内したことから導きの神と考えられるようになり、交通安全の神様として警察庁にも祀られています。

庚申信仰に関連する寺社

ここでは庚申信仰に深く関連している以下の寺社について紹介します。

  • 【京都】八坂庚申堂(金剛寺)
  • 【京都】山ノ内 猿田彦神社
  • 【大阪】四天王寺庚申堂
  • 【東京】小野照崎神社の庚申塚(入谷庚申堂)
  • 【福岡】猿田彦神社

庚申信仰に興味をもった方は、ぜひ訪れてみてください。

【京都】八坂庚申堂(金剛寺)

庚申信仰

『八坂庚申堂(やさかこうしんどう)』は、京都市東山区に鎮座する寺院です。

正式名称は「大黒山 金剛寺 庚申堂(だいこくさん こんごうじ こうしんどう)」といい、日本三庚申の一つに数えられています。

創建は平安時代の天徳4年(960年)、天台宗の僧侶・浄蔵貴所(じょうぞうきしょ)が、本尊・青面金剛(しょうめんこうんごう)にすべての人々がお参りできるよう八坂の地に庚申堂を建立したと伝わっています。

もともと道教の庚申待ちとは無関係の寺院でしたが、青面金剛を祀っていることから庚申待ちの夜に拝まれる対象となり、以後、日本最初の庚申信仰の霊場として信仰を集めています。

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【京都】山ノ内 猿田彦神社

『山ノ内 猿田彦神社(さるたひこじんじゃ)』は、京都市右京区に鎮座する神社です。

京都三庚申の一つとして数えられる神社で、御祭神に猿田彦大神(さるたひこおおかみ)を祀っています。

創建は平安時代、天台宗開祖・最澄(さいちょう)が座禅のために霊窟を探していると猿田彦大神が現れこの地を指し示し、最澄が座禅石の傍らに猿田彦大神を祀ったことが神社の始まりとされています。

また、別名「山ノ内庚申(やまのうちこうしん)」とも呼ばれ、京都三庚申の中でも随一の庚申信仰が残っているとされています。

初庚申の日には護摩焚き神事が行われ、多くの参拝者で賑わっています。

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【大阪】四天王寺庚申堂

『四天王寺庚申堂(してんのうじこうしんどう)』は、大阪市天王寺区に鎮座する寺院です。

日本の庚申信仰発祥の地といわれており、本尊として「青面金剛童子(しょうめんこんごうどうじ)」を祀っています。

白鳳時代(645~710年)に疫病が流行した際、四天王寺の僧侶が疫病に苦しむ多くの人々を救うため祈祷したところ、庚申の日に帝釈天(たいしゃくてん)の使いとして童子があらわれたという伝承が残っています。

童子から「青面金剛童子」の像を授かり、これを祀ると疫病が鎮まりました。

以降1300年間、庚申の日及びその前日に本尊に祈れば、必ず願いが叶うと尊崇されるようになりました。

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【東京】小野照崎神社の庚申塚(入谷庚申堂)

『小野照崎神社(おのてるさきじんじゃ)』は東京都台東区に鎮座する神社です。

平安時代前期に活躍した学者で歌人で遣隋使・小野妹子の子孫にあたる「小野篁(おののたかむら)」を祀っています。

境内にある庚申塚は日本三庚申の一つに数えられ、信仰されていた「喜宝院 入谷庚申堂(きほういん いりやこうしんどう)」から遷祀された「猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)」を祀っています。

また、全11基の塔のうち、台座に「見ざる・聞かざる・云わざる」の三猿の像が掘られた青面金剛の塔は、聖徳太子作といわれる大阪市天王寺にある霊像を模造したものと伝えられています。

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【福岡】猿田彦神社

『猿田彦神社(さるたひこじんじゃ)』は、福岡県福岡市の明治通りに鎮座する神社です。

もともと街道の出入り口に祀られる道祖神として伝えられてきたものですが、御祭神の猿田彦大神が猿の字を冠する神様であることから「庚申信仰」と結びつきました。

以来、60日ごとの庚申(かのえさる)の日に祭りを行い、猿にちなみ「災難が去る」「幸福が訪れる」というご利益があります。

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2024年の庚申の日はいつ? 

2024年の庚申の日を紹介します。

民間信仰として興味をもった方は、ぜひ集まって庚申待を行ってみてください。

2024年の庚申の日

  • 初庚申  2月26日(月)
  • 二番庚申 4月26日(金)
  • 三番庚申 6月25日(火)
  • 四番庚申 8月24日(土)
  • 五番庚申 10月23日(水)
  • 終庚申  12月22日(日)

庚申信仰のまとめ

「庚申信仰」は時代や地域と共にさまざまな形を変え、現代に伝えられてきた信仰の形です。

しかし、時代の変化とともに現在では一部の地域を除いて古来の記憶から失われつつあるのが現状です。

また、庚申信仰を知る上で貴重な手がかりとなる「庚申塔」さえも、道路や土地開発によって撤去や破壊が進んでいます。

このような民間信仰は、当時の日本で人々は何を恐れ、何を祈っていたのかが分かる貴重な資料です。

皆さんももしご近所や旅先の路傍で佇む石塔があったら、歩みを止めて当時の庶民の祈りに思いを馳せてみてはいかがでしょうか?

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