赤神神社五社堂の御祭神やご利益は?
名称 | 赤神神社五社堂(あかがみじんじゃごしゃどう) |
御祭神 | 瓊瓊杵之命(ににぎのみこと) |
ご利益 | 五穀豊穣、勝利祈願、金運招福 |
概要と訪問記

赤神神社五社堂は秋田県の男鹿市にある神社で、同じ形をした5つの社殿が並んでいるのが特徴です。
860年(貞観2年)に、慈覚大師・円仁(えんにん)がこの地で赤神山日積寺永禅院を創建したのが始まりとされています。
5つの社殿になった経緯には諸説ありますが、比叡山の山王七社を勧請して造営したあと2社が廃れたため五社堂となったとする説が有力なようです。
現在の建物は江戸時代の中期(1709年)に秋田藩主・佐竹義格(よしさだ)公の命令で造営されたもので、国の重要文化財にも指定されています。
多くの伝説が残る赤神神社
赤神神社は「瓊瓊杵之命(ににぎのみこと)」が主祭神であるとの文献が残っているようですが、名称の由来である赤神は漢の「武帝」を指しています。
これは西暦72~81年頃の神話の時代に、武帝が天から男鹿の地へ降りてきたという伝説に基づいているようです。
5つのお堂には、武帝が家臣として連れていた5匹の鬼を祀っているとも伝えられています。
また、赤神神社では鬼が積んだといわれる999段の石段も有名で以下のような伝説が残っています。
五社堂への石段には地元では有名な言い伝えがあります。
およそ2000年の昔、漢の武帝が5匹のコウモリを連れて男鹿にやってきました。コウモリは5匹の鬼に変わった。武帝は5匹の鬼たちを家来として使ったが、1年に一度正月を休みにさせました。鬼たちは大喜びして里へ降り、作物や家畜を奪って大暴れし、ついには里の娘までさらっていくようになりました。困った村人たちは、一夜で千段の石段を築くことができれば1年に1人ずつ娘を差しだすが、もしできない時には二度と里に降りてこない、という賭けをしました。鬼たちは精魂を尽くして積み上げあと一段!正に完成寸前、というところで「コケコッコー」と一番鶏の鳴き声。鬼たちはあきらめて、約束どおり山奥へと立ち去ったといわれています。
この鳥の鳴き声は、モノマネの上手な村人が石段完成を阻むために鳴き真似をしたとか、いつも鬼に馬鹿にされている天邪鬼が腹いせに鳴き真似をしたとか言われています。
鬼が来なくなって何か心寂しく感じた村人たちが、年に一度正月15日に鬼の真似をして村中を回り歩く様になったのが、あのナマハゲの始まりだと言われています。
秋田県といえば「なまはげ」ですが、このような伝説がなまはげと深く結びついているというのもおもしろいですね。
ほかにもいくつかの神話や言い伝えが残っており「男鹿の赤神と津軽の黒神のけんか」や、覗いたものの余命をあらわすとされる「姿身の井戸」なども有名です。
訪問日時:2016/03/20
フォトギャラリー
基本情報
公式HP | 赤神神社五社堂(男鹿市の公式ページ) |
住所 | 秋田県男鹿市船川港本山門前字祓川35 |
電話番号 | 0185-27-2523 |
営業時間 | 24時間 |